大阪高等裁判所 昭和43年(う)1949号 判決 1969年8月07日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人岩橋健作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
論旨は、原判決は、被告人に対し、前方注視、減速徐行の各義務および自動二輪車が三差路を横断し終るのを待つて進行すべき義務の違反があるとして、本件事故につき被告人の業務上の過失を認めたが、被告人は前方注視義務を怠つてはおらず、また、右のその余の注意義務は、原判決が本件交差点の範囲の確定を誤つて別紙図面のイロヌチトヘホハニルイの各点を順次結んだ線内の道路部分とし、木代貞子運転の自動二輪車の方が被告人運転の自動車より先に右の交差点内にはいつたと誤認した結果、被告人にこれを課したものであるが、交差点の範囲は、右のうちイロヌリルイの各点を順次結んだ線内の道路部分であつて、被告人運転の自動車の方が先に交差点内にはいつているから、右の注意義務を負担するのは木代であつて、被告人ではなく、したがつて、被告人には過失はない。結局、原判決は交差点の解釈について法令の適用を誤り、被告人の過失を認定した事実誤認の違法がある、というのである。
よつて所論にかんがみ、まず、本件交差点の範囲についてみると、司法巡査作成の実況見分調書、原裁判所の検証調書および当審における検証調書ならびに証人林国彦に対する尋問調書によれば、本件事故現場付近の道路状況は、別紙図面のとおりであつて、北から南に通ずる幅員約8.2メートルのアスフアルト舗装された国道四二号線(以下新国道という。)が和歌山県有田郡広川町大字井関六七七番地先において、徐々に南々西に彎曲し始める東外側に、新国道と一直線をなして南方に向つて分岐する幅員約6.2メートルのアスフアルト舗装された県道(旧国道四二号線の一部、以下旧国道という。)が接続して、鋭角をなしてY字型に交わる三差路で、旧国道の東側線は彎曲し始める新国道の東側線にイ点において接し本来の幅員による双方の道路は、Y字型のまたの基点リ点において分岐し、双方の道路によつて挾まれたまたの部分は、リ点から約三〇メートル前後のヘホを結ぶ線まですみを切り取られ、さらにヘホの線と新国道の東側線および旧国道の西側線と交わるすみもトへを線ぶ線およびハホを結ぶ線によつてそれぞれ切り取られ、リトヘホハリの各点を順次結んだ線内は、アスフアルト舗装され、新旧国道の共通の道路となつていて、リト間の距離は40.5メートル、ヘホ間の距離は10.5メートルあるという特殊なY字型三差路となつており、新国道は北方からこの分岐点に向つて、また、旧国道は南方からこの分岐点に向つて、いずれも、ゆるやかな勾配をなし、分岐点付近はその頂上となつていることが認められる。ところで、右に認定のような、幅員の広い幹線道路がこれと分岐する支線道路と鋭角をなして交差しているY字路において、その双方の道路の本来の幅員による内側の線の接点から各道路の他の側線に下ろした垂線と分岐する支線道路の外側線が幹線道路の彎曲した側線に接する点から幹線道路の他の側線に下ろした垂線とによつて囲まれる部分が道路交通法にいわゆる交差点の範囲に属することは勿論、さらにY字のまたの部分のすみを切り取つて道路としたことにより道路の幅員が拡張してある場合には、その拡大してある部分とこれを挾む両側の道路とは右同法にいわゆる交差点に包含されるものと解する。したがつて、本件においては、別紙図面のイロヌリルイの各点を順次結んだ線内の道路部分と、ルニハホヘトチヌリルの各点を順次結んだ線内の道路部分、すなわち右の両部分を合わせたイロチトヘホハニイの各点を順次結んだ線内の道路部分が双方の道路の交わる部分であつて、右の交差点にあたる、と解すべきである。
そこで、すすんで被告人の過失の有無についての所論について判断するに、原判決挙示の各証拠および当審における事実取調の結果によれば、被告人は、昭和四一年一一月七日午前一〇時三〇分ごろ普通乗用自動車を運転し、白浜方面に向つて前記新国道を時速約五〇キロメートルで南進し、前記Y字型交差点付近にさしかかつた際、同交差点の南方の旧国道から交差点にはいり新国道の北行車線に出ようとして、時速約二〇キロメートルで被告人の方にやや斜めになつて、被告人の自動車の方を見ないで交差点内を横断しようとしていた木代貞子(四五歳)運転の自動二輪車を、約五四メートル前方に認め、同女の方で進路を譲つてくれるものと思つて、クラツクシヨンを鳴らしただけで同一速度のまま進行したところ、同女がなおも被告人運転の自動車に気づかずに被告人の進路前方を斜めに横断しようとして進行して来たので、右二輪車に約一七メートルに迫つて衝突の危険を感じ、ハンドルを右に切リブレーキを踏んで急制動の措置をとつたが、間に合わず、交差点内の新国道のセンターライン付近で、時速約二〇キロメートルの速度で進行して来た同女の自動二輪車前部に自車前部を衝突させ、その結果、同女が原判示の入院加療約六ケ月を要する頭蓋骨骨折兼骨盤骨折、左大腿打撲傷等の傷害を負つたこと、他方、木代貞子は、旧国道から交差点に出る際、旧国道側の交差点南端から約一〇メートル南方の地点から約一六四メートル北方の新国道上を南進してくる被告人運転の自動車を認め、交差点手前で、一寸、停止しかけたが、十分、交差点内を横断して同交差点内の新国道の北行車線に出ることができると思つて交差点にはいり、時速約二〇キロメートルぐらいで別紙図面のガードレール3と4の間付近に向け、左方にのみ注意を払つて右前方に対する注視を欠いたまま、やや斜め横断の形で交差点を横断していたところ、被告人運転の自動車と衝突し、前記傷害を負つたことが認められる。右認定事実によると、被告人運転の自動車が本件交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとした際には、既に木代運転の自動二輪車が旧国道から交差点内にはいつて横断しかけていたことがうかがわれるから、道路交通法三五条一項により、被告人としては木代運転の自動二輪車の進行を妨げてはならないのであり、したがつて、このような場合、本件交差点の特殊性をも考慮すると、自動車運転者としては、減速徐行して、自動二輪車が前記別紙図面リ点の手前で停止するのか、または、そのまま横断してくるのか、その進行状況を注視し、停止する気配がなければ同車が交差点を横断し終るのを待つて進行すべき業務上の注意義務があつたといわなければならない。しかるに、被告人は約五四メートル前方に交差点を横断しかけている木代運転の自動二輪車を認めた際、同女が被告人運転の自動車に気づいていないのを認めながら、同女の方で進路を譲つてくれるものと軽信し、直ちに減速徐行してその進行状況を見きわめることなく、単にクラクシヨンを鳴らしただけで時速約五〇キロメートルのまま進行し、同女がなおも気がつかないで進行して来るので、約一七メートルに迫つて衝突の危険を感じ、急制動の措置をとつたというのであるから、右の注意義務を尽したということはできず、この点において被告人に過失があつたと認めざるをえない。なお、ここで、被害者木代の過失の有無について付言するに、被害者は交差点への先入車両として、道路交通法三五条一項により、交差点を通行するについて優先権があることは前記のとおりであるが、もともと同法条は、交通整理の行なわれていない交差点における車両等の優先順位を一般的に規定して、交差点における車両等の交通の円滑を図ることを目的としているのであつて、車両等を運転する者がこれを遵守しなければならないことはいうまでもないけれども、そうだからといつて、先入車両等の運転者にすべての注意義務を免除し、衝突事故を起こしてもすべて責任がないとまで規定した趣旨とは考えられない。ことに、本件交差点は、その東側線の長さが68.6メートルもあるという変型Y字型交差点であるから、いずれの車両が交差点への先入車両であるか、相互に判明しにくいことが考えられ、また、交差点の北端線については何の標示もなく、どこから交差点になるのか一般にはわかりにくく、かつまた、新国道は幅員が明らかに広い優先道路であるという事情もあつて、当審証人林国彦の証言によれば、旧国道から北進し、交差点を進行して新国道の北行車線にはいろうとする車両は、新国道を南進または北進する車両があれば右交差点の中心(別紙図面リ点の手前)付近で停止して(先入車両に停止すべき法規上の義務はない)その通過を待つて北行車線に向け進行しているのが実情であることが認められることなどに徴すると、被害者としては、交差点にはいつてからのちも、新国道を南北進する車両の交通に注意を払い、その安全を確認したうえで新国道の北行車線に向け進行し危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるものといわなければならない。しかるに、被害者は交差点にはいる前に被告人運転の自動車を認めて十分交差点を横断できると軽信し、交差点内に進入後は被告人運転の自動車に対する注視を全く欠いてそのまま横断中衝突したというのであるから、右の注意義務を尽したものとはいえず、この点、被害者にも過失があつたといわなければならない。
以上要するに、交差点の範囲の確定および被告人の過失の認定について、原判決には所論のような法令適用の誤、事実誤認はないから、論旨は理由がない。<以下略>(竹沢喜代治 尾鼻輝次 知識融治)